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江口重幸 病とは物語である

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江口重幸 病とは物語である


        遺伝子や脳内物質の研究から患者に効く薬は何かといった生理的神経科医と違って、江口重幸の最初の論文が憑依についてのことで、患者だけではなくその人の周りの家族の話も聞き、そのような環境で患者が精神に変調を来たしたかを調べる方法をとっています。精神の変調があろうとなかろうと、「物語」ということは、文学にも通じるし、文化人類学の範囲にもなるし、民俗学にもかかわってきます。

アメリカ流の、これこれの症状にはこの薬といったような治療の根底は実証実験の「エビデンス」があるからです。しかしこの実証実験も、強大な製薬会社の意向に沿ったものになり、巨額の補助金を出してくれる製薬会社の製品の無効性を表現しづらくなっているようです。アメリカでも精神分析を何年も続けてもよくならないということで、「物語」療法から、「エビデンス」主体の方法に変わったのですが、この方法にも難点があるようです。

江口重幸が扱った実証例を見てみますと、やはり時代は反映しているのでしょうか、昭和時代、患者には富豪はいませんが、中間層だったものが下層に落ちるかもしれないという恐怖で精神に変調を来たしたものが多いと思われます。戦前大方が貧者であったころは、大本教の教主のように最貧民から大宗教家に変身します。ところが高度成長を味わった人にとってはランクを下げるということは精神的にストレスを感じるのでしょう。日本にはないように思われますが、階級(環境)の移動こそが発病のきっかけとなります。大本教の女教祖はもはや下がるところがないのですから、居直ることしかできません。そこでぶつぶつといったことが物語になり、それで安心立命を得ます。高度成長時代の患者も、階級(環境)の移動の混乱時には好転しませんが、それを受け入れ、自らを物語ることができるようになったら、少しは症状が改善するようです。物語るということは結局自分を突き放して客観的に見ることができるようになったからだと思われます。

私はタロットをやりますが、お客様に物語をきかせているようなものです。

「真実は心を鍛えるが、物語は心を癒す」という有名な言葉もあります。

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