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沢山美果子 性からよむ江戸時代

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沢山美果子 性からよむ江戸時代


        江戸時代は性におおらかで、明治時代になってキリスト教が入り、性に対する抑圧が強くなった説がまかり通っていますが、実際は農業などに従事する女性は重要な労働の担い手であり、そうたびたび妊娠することはできません。子供が3人以上増えると農作業に差しさわりが出てきます。そのために間引きをするようになります。たびたび幕府は堕胎の禁止を出していますが、生活できないようだとそれをやめることができなかったようです。たとえ生まれても幼児期に死ぬ子供も多いし、出産のときも母子ともに死ぬことも多くありました。だから奔放にセックスをやっていたわけではありません。

一茶の性日記を見ますと、50代の一茶と28歳の菊は日に5回もセックスし、三男一女を得ましたが、すべて幼児期に死なれています。菊も38歳に亡くなっています。まさしくこの38歳が江戸時代の平均寿命です。これは年老いた一茶が何としても後継ぎが欲しかったのでしょう。

遊郭も貧困女性のセイフティ・ネットでありましたが、喜んでする仕事ではありません。貧乏な親に5両から20両の間で売られてきたのです。借金を返そうにも、遊郭で働くだけで借金が増える仕組みになっていて、死ぬか病気になるまで働かせられます。このような仕組みに慣れ親しんだことで、第二次世界大戦の「慰安婦問題」に行き着きます。ロシアのように強姦するよりはカネを払って合意の上でやっているのだからましだろうというのは、日本人男性の屁理屈です。カネを払おうが払うまいが、女性の自由な意思をないがしろにして、そうせざるを得ないような仕組み=遊郭を作ったことです。戦前では当たり前のことであったことも、時代が進歩すると、当たり前が不自然だということがわかるのです。

 

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