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「アベノミクス」はかつての若々しい日本を取り戻そうという政策だそうですが、浜によりますと、老人にバイアグラを与えても死期を早めるだけだと言っているようです。かつての日本は「高フロー・低ストック」で、「蓄えはない」が、「勢いをみんなで共有し」「誰もが同じような豊かさを夢見ていた」ということで、「昭和」には「貧困の中の豊かさ」という温もりのある「精神的底流」があったという説明です。ところが今日では「豊かさの中での貧困」ということで、ごく一部のものたちが各種の優遇策に支えられて、特権的にその富を占有する世界になっています。それだから先進国ではありえない、飢餓で死ぬ人もいます。生活保護を申請して、受け付けられなくて、餓死していたということがニュースにもなりました。まさかアフリカでもあるまいし、と思いつつも、今は餓死予備軍が相当いるのではないかと思われます。昭和のようにどっこいどっこいのせ界ならあまり気にもなりませんが、この平成時、とりわけカネがあり贅沢をしているのを見ると、それができないものには心穏やかになれないものです。正規雇用と非正規雇用の関係を見ても、まるで江戸時代の身分制度に帰ったような気がしてきます。「格差」ではなく、「階級」ができてしまって、それに階級の流動性がなくなっているようです。かつてはラーメン屋の息子でも努力すれば東大に入れましたが、いまや親の年収が1000万以上でないとなかなか入れない状況になっているようです。低所得者の子供はやはり低所得の職に就けない仕組みになっているようです。
野球でもそうですが、強打者をカネであさって強化しても優勝できなかった巨人をみてもわかるように、国も力あるもの学力のあるもの・・・など優秀なものだけをそろえ、それで国を牽引していこうとするのは、どこか間違っているところがあるように思えます。ノーベル賞もそうですが、頂点に立つのは一人かもしれませんが、それを支えているのが何万倍もいるということで、俗に裾野が広くないと、何事も完成度の高いものは生まれません。飢餓で死ぬ人がいるようでは、結局は裾野を削っているようなもので、これから先、ノーベル賞がコンスタントに取れるという状況にはならないかもしれません。