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1987年、深沢七郎は心不全で死にます。ラブミー牧場に残っていた原稿をこの本にしています。18年ぶりの『『出版』だそうです。中身はほとんど同じようなことを言っています。「人類滅亡教」の教主ですから、人類は油虫といい、東京都には50人いれば充分だと言っています。死ぬのは清掃作業であるとも言っています。三島由紀夫についても派遣社員にでもなっていたら、あのような事件は起こさなかったろうと言っています。要は三島の文学は「少年の文学」であり、それに気づき絶望して「政治」に走ったということになるそうです。
「ある意味では、頭がいいということは自分をあやまっちゃうね。ちょうど水泳がうまいからといって水泳を一生懸命やったり、柔道や剣道がうまいからといってやりすぎて、体をこわしちゃうのと同じことだ。ちょっとした生兵法、大怪我のもとというのが三島由紀夫じゃないかな。あの人はお坊ちゃん育ちだからね。人生を実地で学んでいないんだね。本の上で学んだんじゃないの」
またお嬢様がアルバイトでバーなどの水商売に入ったりすると、たとえそれが短期間であっても金銭に関する考え方が変わってくるといっています。「いったん水商売をやってうまいぐあいに立ち回って稼ぐと、本当に働いた稼ぎでない金を手にすると」買い物で同じ品物でも、「うんと苦労して、砂漠の中で水を捜して飲んだのと、水道水の水を飲んだのと」の違いがあるそうです。これもある面三島由紀夫の女バージョンであるかもしれません。
日本の天皇制も、ヤクザの義理と人情も「卑怯な飛び道具みたいなもんで、それでしばってしまうんだ。百円の義理で、千円も一万円もしばってしまう。非常に安上がりにしばってしまう」ということになります。