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日露戦争で、ヨーロッパで防諜、謀略をしたのが明石元二郎です。ロシア革命を引き起こすために、テロ集団などにカネをばらまいていたのです。予算として今の金額でいうと70億円を引き出し、その8割を使っていますから56億円。なんとか勝ちましたが、樺太の半分の割譲と朝鮮での日本の権利の擁護くらいで、賠償金は得られませんでした。しかしこれによってロシアの周辺国、フィンランド、ポーランド、トルコなどロシアに苦しめられた国々は大喜びです。それにもましてヨーロッパの植民地になっていたアジアの国々も白人を破ったということで、それらに対する戦いに勇気を得たようです。まさしくこの時日本は「世界の歴史変えた」のです。ヨーロッパの国々によって奴隷にされていた人々を目覚めさしたのです。
その後明石元二郎は朝鮮では憲兵隊の最高責任者、台湾では総督府長になっています。明石元二郎が若き頃、ベトナムに視察していて、そこでのフランスの植民地統治のやり方をみて、これらフランス人たちは収奪だけをしていて、ベトナム人に対しては一切の恩恵を施していないということ知ります。朝鮮でも台湾でも日本は教育制度を確立し、大学を建てます。インフラの整備も行い、産業が行われる基盤を作りました。台湾ではダムを作り、灌漑設備で一大農地が広がりました。数少ない日数でしたが明石元二郎は台湾経営に邁進します。しかし56歳で寿命が切れ、生地は九州の福岡でしたが、彼の希望で台湾に埋葬されました。それだけ彼は台湾に思い入れがあったということです。