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エッセーではなく小説だと言っています。エッセーをもじって似非としたのはパロディーだということです。真面目な読者はいるもので、飼い犬がピタゴラスの定理を理解したと冗談に書いているのに、そのハムという犬の写真をとらしてくれという問い合わせがあったそうです。心臓を手術して、一心房になったと書くと、そのような手術などないと抗議してくる人もいたそうです。架空の外国の地名なのに、最近そこから帰ってこられた清水さんと紹介されたとも言っています。きまじめなのはいいことですが、融通がきかないというのは問題です。この第二次世界大戦でもそうでした。アメリカがあきれるほど、同じ作戦を繰り返し、機関銃の餌食になっていたそうです。日露戦争の203高地の作戦も同じことです。ただ突撃を繰り返し無駄に兵隊を損傷しているだけでした。ウソもユーモアがあれば許されるものだと思います。ウソも方便といいますから、案外ウソも真理をついていることがあるように思えます。英語の単数と複数に関して、それが日本にないのは何事も曖昧にしようとする日本人の心根があると言っています。名古屋人は蜘蛛の巣を食べると書いています。私の友達で名古屋人がいますがハチの子をむしゃむしゃと食べていました。白い幼虫が歯でちぎられて行くのを見るのは気色悪いものです。蜘蛛の巣などはツバメの巣ではあるまいし、清水のでまかせです。でもこれを読んで、多分一人くらいは蜘蛛の巣の料理を知っているかと、吹聴する人が出てくるでしょう。「ナポリを見て死ね」という格言がありますが、もとはナポリを見て次にモリを見ろというのを英訳した時に、このモリを「死」と訳し間違えたと、もっともらしいことを言っています。私も思わずそうかなと思ってしまいましたが、イタリア語で「死ぬ」を「モリ」とはいわないでしょう。いくらナポリの方言だとしても。