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期せずして、前回のギルモアと同じく、不登校の息子にまつわる家族の物語です。ギルモアはこの本の主人公のようにテレビ放送局の社員ではありませんが、映画とかドラマの評論家ということで、やはりテレビなどに出て収入を得ていました。最終的にはカナダの大学の教授になりました。さて日本の、最先端を走るマスコミ業界の男は不登校の息子を持つと、納豆製造者になってしまいます。日本もアメリカもいい大学に入れないと高い収入を得る職業に就けないというプレッシャーがあるのでしょう。勉強の嫌いな子、勉強の不得意な子は、もう小学校から脱落していくようです。母親は子供を生む前は新聞社に入社しており、夫よりも高い偏差値の大学卒業者という設定で、子供を生んだために体調を悪くし、元の職場に戻れなかったということになっています。そのため一人息子に期待をかけ、中学受験に失敗しましたが、高校受験に再度挑戦するように息子に発破をかけていました。が、息子は不登校になってしまいます。マスコミ業界というところはとりわけ偏差値の高い大学出ないとは入れないところです。それか親が政治家とか財界の金持とかというのだったら、コネで頭が少々パーでも入れる所らしい。この主人公は秋田の大曲出身で、実家が納豆製造屋で、今は兄が継いでいたが、腰を悪くして廃業していたという設定ですから、大金持ちのボンボンではなく、それなりに勉強ができてテレビ業界に入社できたのでしょう。ギルモアも一時テレビ局の仕事がなくなって収入が途絶えた時、宅配業者の宅配人になろうとしたときがありました。ギルモア自身が不登校の息子と同じような情けない状況になったのです。映画ばかりを見せ、学校に行かせない状況は息子をだめにし、クズ男にしているのではないかという疑念をもっています。しかしながら映画を見ながら息子にシーンの解説やら、俳優の長所や欠点など説明し、彼が今までしてきた仕事のエキスや人生観を伝授しようとしています。冬至祭の主人公は彼が今までやってきた仕事のエキスを息子に伝授しようにも、有名な大学を出ていないと入れないところであり、たとえ息子が立ち直り大学を出ても、父親が一介のプロデューサーではコネでは入れません。ましてや小学校や中学校で勉強で挫折する子供は超難関大学など入れないでしょう。まずもって彼の担当の報道関係のエキスを息子の伝授することはできません。それに伝えるほどのエキスがあるとも思えません。多分よく言われるように、歯車の一部でしかなく、彼がいようといまいと、それなりテレビ局の仕事は続いていくでしょう。それで藁の納豆となるのです。納豆では放送局のように巨大な装置はいりません。手作りで目の見える範囲で仕事が完結できます。別に納豆でなくてもいいのです。ラーメン屋でもいいのです。全体が見通せる仕事でないと、人間、納得できないような心理構造になっているのかもしれません。