[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
清水義範と同じ年代でないと、これら短編の小説の面白みはわからないでしょう。中学で初めて学んだ英語の教科書はジャック&ベティで、日本語での訳文が日本語でありますが、日本語らしくないものでありました。これはなんですか?これはペンです。要するにいちいち主語をつけて言うのです。英語の先生の言うところ、英語は論理的で、日本語のように主語を曖昧にした非論理的言語ではないのだと説明を受けました。だから科学でも遅れをとって戦争にも負けたのだなと妙に納得させられたものです。
パソコンになるまえはワープロ機がはやっていました。年賀状などこれで宛名書きや、裏も表も刷っていました。私の家には今でも使わなくなったワープロが2台くらいあるのではないでしょうか。大昔のワープロ機は画面も小さく、使いづらいものでした。でもこの方面の進歩はすざましいもので、あっという間にパソコンに置き換わりました。
「冴子」は谷崎の瘋癲老人をパクッたもので、「四畳半調理の拘泥」は荷風の「四畳半下張り」の「パスティシュ」なのでしょう。
「大江戸花見侍」などは、我々がテレビっ子の第一世代ということで、旗本退屈男や水戸黄門など熱心に見ていたから、面白いのです。大宅壮一が「一億総白痴」だと言っていました。我々は漫画とテレビで育ってきたようなものですから、大部分が白痴のままトシをとってきているといえるでしょう。それに今では認知症も混じり、はやくこの世代が亡くならない限り日本の再生はありえないと考える人もいるようです。