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このようなことがあってもおかしくないと思わせる小説です。何もないところから想像力をかきたてて、物語を作るのは難しいが、漱石のようなよく知られた人物に想像的な人物を絡まして、物語を進行させるのは少しは楽かもしれません。そうは言っても、何十巻もある漱石全集をある程度読んでいないと、底の浅いものになるでしょう。「我輩は猫である」の文体がそのようになったのは、ある若い女性が、演説口調の文体の方が論理的になり、言文一致体の文章よりは「思想の伝達」が出来るのではないかという内容の手紙を漱石に送ったからです。この娘を漱石に紹介したのは、教え子の寺田寅彦であり、若くして死んだ寺田の妻がもともと近所で聡明なこの娘を知っていたのです。寺田寅彦もこの小説のモデルで出ています。
漱石は間違いの字を書くことが多かったといっています。この「漱石」の字も漱の字を欠のところを部首の名前で言えば「ぼくづくり」で書いています。清水義範の小説を読むと、国語の先生に解説されるような気分を味わえます。単に楽しめるだけではなく、教養も得られて、一粒で二度おいしいといったところでしょうか。