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清水先生はこれを書くためにいろいろな解説書を読んでいます。多分「資本論」とか「純粋理性批判」とか「存在と無」とかという長い訳書は読んでいないでしょう。ましては原語で書かれたものは読んでないはずです。それよりは短い、ソクラテスに関する聞き書きやデカルトの「方法序説」やニーチェの諸論文やサルトルの戯曲「嘔吐」くらいは訳文で読んでいるかもしれません。読んだとしても清水先生はあとがきでこう書いています。
「この小説で取り上げた哲学者の思想を、私はすべて理解しているとはいえない。真面目に勉強したのだがギブアップなのである」
最も短いウィットゲンシュタインの「論理哲学論考」など何を言いたいのかさっぱりわからないでしょう。清水はウィットゲンシュタインの最も有名な言葉をもじって、「理解しえない哲学者については、沈黙しなくてはならい」と結んでいます。
清水はこの方面の自分の理解力のなさを棚に上げて、これら哲学者の本を訳したりまた解説したりしている人に対して疑問の念を呈しています。
「ああいう解説本って、本当にわかっている人がかいているのだろうか。わからないまま書いていなかな」
ハイディッガーの「現存在」などドイツ人の難解癖で、単に人間と言っちゃあいけないのかと思ったりしています。-