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Happyとhappenは語源が同じだそうです。古来の人の発想は外部から何かが起こって、ハッピーな状態になるということらしい。日本語でも「幸せ」のことを「仕合せ」とも書きます。渡辺によりますとこの「仕合せ」とはハプニングことだと言っています。要は何かの出会いがしらの衝突で、幸せになったり不幸になったりすることで、日本語の場合、不幸な部分が欠落し、「仕合せ」即「幸せ」となったということです。ところがシェイクスピア以降、ハプニングが仕合せな状況であっても、鬱々とした人間もいるということが証明されます。「幸せ」の解釈がより複雑になってきたということは、ハプニングよりは人間の内面により重要な意味を見出したのでしょう。シェイクスピア以前と以降の文学では深い断絶があるということです。それまではおとぎ話の範疇だったものが、シェイクスピア以降複雑な心理劇になりました。でも現在でもカフカの本よりハリーポッターの本がよく売れているのを見ると、このような辛気臭い本など買ってまで読もうとは思わないのでしょう。ハリウッド映画でも荒唐無稽で馬鹿馬鹿しいものが興行収益が大きい。ハプニングが起こり、次から次と筋が展開するほうが面白い。ゴキブリが家でごそごそする小説よりはよっぽど気が晴れる。韓流ドラマもおとぎ話である。今日本ではやっている「君の名は」は、敗戦当時の「君の名は」のリメイクと思いきや、これも荒唐無稽の漫画映画である。もはや自分の心に立ち入って、あれやこれやと葛藤することに飽き飽きしているのでしょう。所詮自分の心を覗き込んでもたかが知れている。哲学的な問題よりは、何億あればどんな素敵な人生を送れるだろうかと思っている人が大半です。しかし私のように70歳にならんかとしているものにとっては、もはや何億も稼ぐ能力も当てもないし、あっても使い道がないと知ると、渡辺が推奨する江戸時代の儒学者・佐藤一斎の、「少にして学べば即ち壮にして為すあり。壮にして学べば即ち老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」のいき方をお手本にするしかないようです。