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「秋」という漢字は、「禾」(のぎへん)の意味は稲であることはわかりますが、「火」はなんでつくんだという疑問をこの本では解決してくれています。大昔の漢字では、「禾」と「火」の間に昆虫のバッタがあって、今もですがバッタの大量発生によって作物が食い荒らされるということがよくありました。そのために人々はバッタを捕まえ焼いていたということです。いつのまにか虫を表すものが抜けて、「秋」になったということです。バッタが大量発生するということは時の政権の首謀者たちの徳のなさだといわれ、よく誅されていました。皇帝の中にはバッタを生のまま飲み込んだ、漢代の第二代皇帝太宗もいます。中国でも日本でもバッタは高たんぱく食品で、生で食べたとしても体が悪くなることもありません。謹慎して慎ましい生活をしていた太宗もバッタを生のまま食って、少しは元気になったのではないでしょうか。このような自然現象を自分の非にされたのではたまったものではありません。それに輪をかけて科学精神のない詩人たちが、バッタを捕まえる人海作戦をあげつらい、時の施政者たちの徳のなさを吹聴しているものもあります。白居易の「蝗を捕う」というものを作っています。
「蝗を捕らえ、蝗を捕う、ついに何の利ぞ
徒に飢人をして 労費を重ねしむ・・・」
化学薬品のない当時としてはバッタや蝗を捕まえ、焼き殺すこととがもっとも災禍を減らすことに効果があったということは間違いありません。
「一人、慶あれば 兆民 頼る ことの時 蝗ありといえども 害をなさず」
白居易は書いていますが、蝗やバッタが徳性の高い人間を見分けることができるはずがなく、単に白居易が時の政権に受け入れられないので、言いがかりをつけているということになるようです。