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読書

渡邉義浩 三国志の女性たち


        この前書いたもので、赤壁の戦いのとき、周瑜の友である蒋幹が偽密書を盗んで曹操の陣地に帰る間際、周瑜の妻大喬と出あってドラマ性をたかめたとありますが、大喬ではなく、小喬でした。大喬は孫権の兄孫策の嫁さんでした。それに劉備の将軍・趙雲が戦場から劉備の赤子を救い出し、劉備の元につれて来たのに、劉備はその赤子を地に投げ捨てたと書き、多分その赤子は死んだのであろうと書きましたが、その赤子こそ劉禅であり、劉備亡き後蜀の皇帝を継ぎました。趙雲が劉禅を救い出したとき、井戸に身を投げた麋夫人は劉禅の実の母親ではなく、実の母親の甘夫人が死んでいたので、代わりに育てていたのでしょう。劉禅は地上に投げ捨てられたせいで、凡庸な君主になったようです。孔明が生きている間は何とか名目を保ちましたが、孔明が死ぬと、魏に降伏しています。

楊貴妃と並び比べられる貂蝉は2世紀の人間で、多分その頃の日本の女は海辺で貝を掘り、田圃の草を刈っていたくらいで、歌や踊りで生きている女性などいなかったと思われます。この頃の中国は経済大国で、歌姫でも生きていける女性が居たということになります。「美女連環の計」といって、英雄呂布と養父の董卓を仲たがえさせ、呂布をして董卓を殺させています。

国が亡びるのは常に後継者の問題になります。儒教では正夫人の長男があとを継ぐべきと言っていますが、第二、第三夫人がいたりして、それらが子供を持てば、すんなりと後継者は決まりません。曹操も孫権も頭を悩ましています。いづれにしてもこれらの孫時代になると、祖父たちの威厳やバイタリティーはなくなり、他の覇者にのって変えられる運命になっています。

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