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渡部昇一 米長邦雄 生き方の流儀

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渡部昇一 米長邦雄 生き方の流儀


       この本ではまだ米長は、1年と9ヶ月後の自分の死に気づいていません。2011年3月11日まさしく関東東北大震災のとき、ホテルニューオータニの37階で対談したのがこの本の元になっています。新井薬師に夫婦が入る墓地を買って、まだ墓石は買っていないと米長は言っています。今では立派な墓石が立っていることでしょう。米長はこの本では70過ぎても生きているだろうと考えています。渡部に70過ぎどう生きたらいいのかを問うています。実際は69歳で死んでいます。盛んに70歳を自分の人生のピークにもっていきたいと米長は言っていますが、どのような賢者も自分の死期などわからないのだということがわかります。60も後半になると、生と死の壁の上を歩いているようなもので、一年一年どちらに転ぶかわかりません。私も米長の死の年齢に近づいていますが、朝目覚めた時、今日も生きていたと思うとなんだか得をしたような気持ちになります。米長はたとえ消化試合であっても全力で立ち向かわないと運が逃げていくのだと力説しています。洒脱であっても根はまじめなのでしょう。明治時代に翻訳されたスマイルの「西国立志論」そのものです。「天は自ら助くる者を助く」は世上で成功する一般的な「ルール」でしょう。渡部はこの「ルール」のほかに別の「ルール」もあるのだと言っています。一見無駄なようなものも一生懸命やっていると、思わぬところから運がやってくるというのです。米長では指し将棋にはあまり関係ない何百手の詰め将棋を解くこと、渡部では英語学には関係なさそうなドイツ語を習得したということに当たります。

私が思うには、もはや60を過ぎ70にならんかのとき、「運」などどうでもいい。運は波みたいなものですから、大波の上に乗っているときはいいのですがやがて否が応でも底に落ちるのです。年寄りはサーフィンなどしようなどと思ったらいけません。年寄りの冷や水どころか溺死してしまいます。せいぜい瀬戸内海、ここでもへたをするとタンカーが通ってその波で小船がひっくり返るかもしれません。だったら波のないところ、自宅にこもってじっとしているのがもっともいいことです。いずれにしてもそう長くはないのですから、じたばたしないで自宅で死の横演習をし、つまりウツラウツラしながら夢を見るとでもなく、そうかといって深刻にものを考えるわけでもなく、ただぼんやりと、自分の行く末、自分の終末を思い浮かべ、死ぬがごとく、眠りにはいり、いつの間にかその眠りが死につながったというのが私の理想郷になります。

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