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イギリスにお茶が入ったのは、ポルトガルの王女キャサリンがイギリスの国王チャールズ2世に嫁入りしたときです。1660年のことです。王女は中国の茶器や日本の漆器を持ち込み、宮廷に茶会を広めました。上流にはやるとそれが下流に広がります。このような状況のときに、1756年に慈善家ハンウェイとジョンソン博士の論争が起こります。慈善家ハンウェイは貧乏人が高いお茶を買うより、その分もっとましな栄養素のある肉とか野菜を買って食べるほうがいいのではないかと言い、特に緑茶は体には悪いと主張していました。当時お茶は紅茶でなくて、緑茶が主流です。慈善家ハンウェイは緑茶の工程で茶を熱するのに銅の釜でするので、緑青が茶に混じると考えたのでしょう。おまけに茶を飲んでいる時間は無駄だといい、人間が怠惰になるだけだと主張しています。これに対してジョンソン博士は、英国の階級主義者らしく、貧乏人が茶を飲むのは無駄であり、高い茶を買うより肉でも買って栄養をつけるほうがいいという、慈善家ハンウェイの意見には賛成していますが、有閑階級では、「茶は人々を楽しませ、勉強家をくつろがせ、運動不足の人の消化を助けるのに適した飲み物」といって、博士自身も日に何十杯もお茶を飲んでいたようです。
コーヒーでも紅茶でもそうですが、皿の上にカップを置いていますが、18世紀イギリスでは、茶は熱いものですからカップからこの皿に移して飲んでいたということです。ヨーロッパ人はおおむね猫舌だったのでしょう。日本や中国から見るとなんと行儀の悪いことか、でも、西洋人からみると、なんと優雅な仕草であろうかという感嘆している文章も残っています。