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今場所もモンゴルの横綱が優勝した。ここ何十年も日本人の横綱はいない。もはや日本人はあのふてぶてしい、愛想のない強靭な横綱にはなりたくないのでしょう。漬水の言うように、日本人は横綱の責任を担うよりは、幕下の気軽さを選ぶ傾向があるようです。漬水はこれを日本人のネオテニーと読んでいます。「幼形成熟」といっても精神面でもまだ幼形のままでいるのが多いということです。「可愛い」とか「若い」とかが日本人のほめ言葉で「大人らしい」は「ダサイ」ことになります。ということで日本人はますます「可愛く」なっていき、ますます「未熟で、物知らず」になっていくと漬水は危惧しています。日本人のネオテニーでメリットがあったのはマンガとアニメで、世界の子供を楽しがらせています。ハリウッドも日本のネオテニーの影響を受けてロボットが活躍し、ちゃんばらごっこをしています。
日本が豊かになって、このような傾向が現れた清水は言っています。ニートでもフリーターでもそれなりに食えるということがこの傾向に拍車をかけています。何となく生きていられるのだったら、別に苦しい思いをして、大人になる「脱皮」をしなくても、もとのままが「楽」でいいという考えです。ところがこのようなことはいつまでも続くはずはないと漬水は警告しています。我々団塊世代が死滅した後、子供子供した日本人を誰が対等に付き合ってくれるでしょうか。仕事をしないでいいものが食いたいと泣き叫ぶ子供日本人に誰がまともに相手をしてくれるでしょうか。この本は2005年頃書かれたもので、清水が60ちょっと前であります。あとがきでこう書いてあります。
「私ももうじきまぎれもない老人になってしまう。そうなったら、なるべく礼儀正しく、でも実はふてぶてしい老人になろう、と言うのが将来への楽しい覚悟である」
「ふてぶてしい老人」とは若い娘から「可愛いおじいさん」と言われても、それに迎合せず、年長者に向かって何と失礼なと、どやしてやるほどの骨のある老人になることだと私は思います。果たして漬水は10年ほど経って「ふてぶてしい老人」になっているでしょうか。