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映画の「寅さん」の一人テキヤはいないのです。縁日などで屋台をはるテキヤはみなそれぞれの組織に入っています。暴対法でこれらも取締りの対象になりましたが、賭博を主な収入源とするヤクザとは違うので、暴対法でテキヤもひとくくりにして取り締まるのは少しおかしいのではないかという意見もあります。昔、テキヤの飯島一家の親分倉持忠助がこう言っています。
「侠商の語は何を意味するのか。義による商人という意味なのか、侠客が商売を始めたとのいうのか・・・私は明言しておきたい。私たちは小資本の実業家であると」
またこうも言っています。
「人が生きる為には、人を使うか、人に使われるか、自分で商ふかの三つで、無産者には使われるか、自分で商ふかの二つの法しかない。使われるこのとの出来ぬ者はただ一つ独立することが残されているのみで、私たちは子供の折から独立を以て人間最高の美徳して教えられてきた。私たちは実に国定教科書によれば誠に誉むべき独立者ではありませんか。しかも大道の香具師、夜店商人として蔑まれなければならぬとは、何たる聖代の不祥事でありましょう」
広島でのとうかさんやえべっさんの祭りでも露天商の数は少なくなり、私が子供時代のそれらの繁栄とはまるで嘘のように思われます。しかし考えようによっては今流行のテレビショッピングなどは露天商の系譜を引いているような気がします。それに非正規雇用の人間たちははっきりいって露天商と変わりありません。露天商よりは悪いのかもしれません。露天商は小規模ながら資本を持っていますが、非正規雇用は自分の肉体しかカネに変える手段を持たないのですから。
大正や昭和のはじめにかけて、アナーキストや社会主義者がテキヤになり、糊口をしのいでいました。流しの歌い手もテキヤの仕事に分類されます。そこで主義者は今で言うプロテストソングを作り歌っていたのでしょう。占い師も香具師の中の一つの仕事です。占い師になるためにははじめサクラになり、人が集まったところで、「当たっている」と大袈裟に吹聴していたのです。そのような下積みをやり10年くらいして独り立ちをしていたのでしょう。