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現代タイのポストモダン短編集

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現代タイのポストモダン短編集


     偶然
You tubeで、タイ女性が歌うミュージックビデオをみました。私好みの美人で、タイの山本リンダと名づけました。踊り仕草も、現代的に見えますが、手の仕草がタイ伝統のしなやかな運びをしています。それからというもの、You tubeでタイの音楽を聴き続けています。それで分かったことですが、タイにも日本で言われているところの演歌にあたるものがあるのではないかと思われてきました。タイの山本リンダはポップス系ですが、都はるみのようにコブシをきかした歌い方をする人もいます。私がタイの千昌夫と名づけているミュージックビデオの三部作がおもしろいのです。第一部、農村の貧しい家から、美人の女房が夫が引き止めるにもかかわらず、都会の金持のクルマに乗って去ります。貧乏な男には赤子の娘が残されます。これを見ると、今タイでは高度成長時代を迎えているのだとわかります。演歌系の歌手は男でも女でも、この高度成長時代についていけない負け組みを切々と唄っているのが多いのです。第二部では、この娘が4歳くらいになり、負け組みの男がバイクで、娘と卵や自分の土地で出来た果物を積んで、市に出かけようとしたとき、高級車とぶつかります。その車は逃げた元女房と金持の男が乗っていたのです。それからというもの別れた女房はこの娘を引きとろうとします。収入の多くない男は仕方なく娘を引き渡すことを承諾します。その日、娘を渡そうとしたのですが、娘は父親にしがみついて、母親のもとに行こうとはしないのです。泣けるところです。その部分でタイの千昌夫も声を張り上げて歌います。第三部、金持の男が不正をして警察に捕まります。美人の妻は借金のためかクラブのようなところで働かされます。売春を強制され、拒否したら顔を張られます。元の亭主のものに逃げ帰ります。やがてそこにもヤクザが捜し求めてきます。亭主はヤクザに殴られたり、銃で脅されます。しかし口を割りません。仕方なくヤクザは銃を空にぶっぱなして帰って行きます。やっとそこで夫婦と娘の幸せな家庭が戻ってきます。私はホッとしました。このようなことは日本でもあること、タイも同じようなものだと感じた次第です。で、もっとタイを知るためには小説を読むのもいいのではないかということでこの本を借りたのです。

「僧子虎鶏虫のゲーム」ではまさしく高度成長の話です。土地を騙し取られた男が、騙した男がそこに作ったゴルフ場で働いています。この騙した男はやり手で、他にいろいろな会社を持ち、長男を今度政界に入れたいと思い、ゴルフ場で政治の権力者を招待し、わざと負けて喜ばせます。騙された男は権力者の車を塀にぶつけてバンパーを壊してします。それで首になります。その後この男は権力者に相談しに行きます。要するにじゃんけんのグーチョキパーのように、人間社会も片一方では勝っても、別の一方では負けることもあるのだと、言っているのではないでしょうか。

「滝」では、タイの踊りはその集団があり、世襲になっているのか、親族で継続されているようです。本編の主人公の父が踊りの長(おさ)でありますが、主人公は小説書きです。ここで印象的なのは象が谷に落ち、引き上げられないで死んでいくところです。

「旧友の叫び声」日本でいう全学連が後に社会人になり、かつての夢がはるか遠くに飛んでしまったという状態のことと同じではないかと思われます。

「崩れる光」どうして目が見えなくなったのかよくわかりません。客が持ってきたテレビに爆薬が仕掛けてあって爆発したのかと思いましたが、読み返してもそのようではなし、意味不明です。

「虹の八番目の色」童話のようです。

「毒蛇」これはぐんぐんと先を読まされました。筆力のたつ人が書いたというのがわかります。

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