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田上太秀 涅槃経を読む

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田上太秀 涅槃経を読む


         私もそろそろ涅槃の境地に至らないといけないのでこの本を手にとって見ました。これも寝ながらキーボードを打っています。眠るがごとく死ぬことを理想とすれば、何事も横になりながら何事もこなす練習をしておかないと涅槃の境地には至らないと思うからです。変換にミスが出ようともいたし方ありません。

さてブッタの死は鍛冶屋の息子が出したキノコ料理での食中毒だそうです。原始涅槃経では息子の名前まで記載されています。チュンダという青年です。現在ではチュンダに損害賠償責任が問われますが、ブッタは何らチュンダとがめてはいません。悟りを得たものとして迫り来る死に動じることなく眠るがごとく死んだようです。

ニーチェは仏教を宗教ではなく、衛生学であるといっています。正しく生きることで心の平静さを得る手立てを説いているのだと言っています。弱いものが強い者をやっつけるために価値の逆転を行い、弱いものこそが天国にいけるといったキリスト教のような軟弱な宗教ではないと、仏教を賞賛しています。ブッタの言うところは、正しく生きて天国に達することではなく、それから一歩突き抜けて天国に入ったり地獄に落ちたりといった輪廻のスパイパルに陥ることなく、それから脱出して輪廻の輪を断ち切り永劫回帰を繰り返さない「覚者」になることを目指しています。人間や他のものに生まれ、死で天国や地獄に行き、また生まれ変わって人間になったり他のものになったりする永劫回帰の輪廻の輪を断ち切り、その循環から出て行くことを目指したものです、だから死んで天国に行きたいとか、生まれ変わってまた人間になりたいというのは修行が足りない証拠です。

話は変わるが歌手の森進一が30代の女性と再婚するという噂が立っている。森は67歳で、そろそろ涅槃の準備をしないといけない年頃なのに、なおも煩悩を抱え込もうとしている。私はうらやましいといっているのではない。ただこのブッタの教えに即してみると、森進一が未だに女の色香にとらわれているということは、つまり煩悩に苛められているということで、まだ修行が足りていないといわざるを得ない。

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