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1972年の4月から1年間ソウルに行き、留学したのですが、その日に戒厳令が引かれ、大学は閉鎖、繁華街で飲み歩き、雑談したり、ときには韓国の文芸書を買い、読んだりしているうちに、何ヵ月後に大学が再開し、韓国語と文学を研究したということになっています。彼は朝日新聞を休職し、ソウルに来たのです。年は47歳です。その前にも二度記者としてソウルに来ています。それに彼はソウルの小学校や中学校を出ています。それから日本に帰ってきて新制の東京大学文学部に入学し卒業しています。多感な時代ソウルにいたということで、懐かしさもあり、同時に韓国の変わりようを見てみたいということもあって留学を決意したのでしょう。明洞の飲み屋街に若い娘たちが多くいることにびっくりしています。4年前に記者としてソウルに来たときは、この明洞には男ばかりで、その酔っ払い相手の飲み屋のかみさんか、ホステスさんくらいしか女性はいませんでした。それが大学生かと思われる女性が夜遅くまで歩き回っているのです。
この時代の韓国の大統領は朴正煕で、日韓基本条約で得た3億ドルの無償提供資金で「漢江の奇跡」を起こし急成長を遂げた時代です。今も留置場にいる朴槿恵の父親です。父親も母親も暗殺され、彼女が大統領時代、その反日ぶりにイライラさせられてものでしたが、ある面かわいそうなところもあります。田中明も書いていますが、教条的な反日はかえって中身を薄くするものであり、また日本の謝罪もそれを口にするとかえってうすペッらいものになると言っています。韓国と日本は言語もよく似ているものであり、お互い文学書など読みあい、理解を深める必要があると結んでいます。