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雑誌の編集者は作家よりは目立つことがなく、業界内部では有名かもしれませんが、一般の人は知ることもありません。白河浩司は東大を出て、文藝春秋社に入り、とうとう重役になり、退社しています。そつなく人生を過ごして、いまや悠々の退職生活をしていると思われます。例えば、白河浩司と全然反対の人生を送っている作家がいるとします。高校は中退で、まともな職もついたことがなく、日々食うこともままならぬ生活をし、たまたま書いた小説が当たったりします。名が世間に知られ、テレビのコメンテーターに出たりします。白河浩司から見ると、その作家の書いたもの、言っていること、すべて粗だらけです。何しろ東大という高い教養を身につけたものなら、到底その作家の知性の稚拙さは覆い隠せるようなものではありません。そのような稚拙な知性が世間に感銘を与えているなんて、全く世の中なんてまともじゃないと思うことでしょう。もっと卑近な例を出すと、学生時代勉強もしたことがなく、遊びまくって、それがお笑いタレントになって、今や年間何億も稼いでいる。同じテレビ業界でもアナウンサーなどは偏差値の高い大学を出て、やっとマスコミに入りましたが、年収は1千万円くらい。まともなことを言っていても年収はそのくらい、アホなことばかり言うお笑いタレントは何億ももらっている。同じテレビの画面に一緒に出ていると、アナウンサーは情けなくなるでしょう。以前に漫才師の神助が上智大を出ている女性マネージャーを殴った事件がありました。人気があるということは何にもまして権力そのものです。もうここでは学歴うんぬんとはいわれない世界なのです。世の秀才も真面目に勉強すればある程度のところまでは行けます。マアマアの収入は得られるでしょう。ところが億までは突っ切れないのです。これを私は「秀才限界」と名づけましょう。臨界値を越えるためには、もっと何かが必要です。白河浩司も文藝春秋社の社歴に社長として記録されているかもしれませんが、菊池寛のように広く世間に知られるようなことはありません。それでよしとするなら何ら問題はありませんが、人生に悔いが残るのだとすれば、やはりアホなことでも勇気をもってやってみるという必要がありそうです。