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この書のトーンとしては全体的に暗い。今から先画期的なイノベーションが起こらなければ、停滞的な状況、それかデフレの兆候が全世界的に現れるという結論です。どの先進国も金融緩和を行い、その溢れたカネが産業生成に向かわなく、マネーゲームに投下されて、カジノのプレイヤーに否が応でもならざるを得ない状況になっているということだそうです。なぜ産業界にカネが向かわないかというと、ただでさえ供給過剰になっている工場など拡張しても在庫がだぶつくだけだということがわかっているからです。旧態然とした産業は速やかに退場していただく必要があります。アベノミクスでは公的資金を株に投下して、値下がりを防いでいますが、このようなことをしていては本来時代に合わなくなった企業も依然として残り、産業界の新陳代謝は起こりません。まるで病院の重症患者と同じ事で、チューブでつながり、再び元気になる可能性はなく、費用ばかりかり、手の施しようがなくなっているという状況になるのです。このようなことを考えると恐慌も必要なものかもしれないと思われてきます。産業界も国の手厚い保護で看護していては、いつまでたっても治りもしないし、死にもしない。何もしないで、この際、死ぬべき企業は死んでもらわないといけません。恐慌という劇薬を飲まして、あの世に旅立たせてやる必要があるような気がします。人間も企業もどん詰まりならないと意識を変えようとはしないもののようです。悪くても、急激に変わらないときは、慣れた意識を持ち続けます。それのほうが楽ですから。しかしこのようなことではいつまでたっても埒があきません。恐慌でも来て、みんなが荒野に投げ出される必要がありそうです。まるで敗戦のときの焼け野原を見たとき、私たちの親の世代が感じた気持ち、「自分たちでやるしかない」との覚悟ができるかもしれません。僭越ながら、私の父親は世界で始めて、自動でお茶を飲めた装置を考えた男です。半世紀前、父親は風呂屋の蛇口のようなものをカウンターに並べ、お客が自由に蛇口をひねるとお茶が出てきた装置を作って評判になりました。そのとき特許をとっておれば、息子の私は一生何もしないで食っていけたにと思うと、悔しくてなりません。