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少年時代では納豆が大嫌いであったものが、いまでは隔日ごとに毎朝納豆を食べています。納豆にかつおの削り節、ねぎ、納豆製品についているたれやからしをかき混ぜ、ごはんにのせて食べています。このような食べ方は江戸後期頃からで、それまでは納豆を叩き細かくして味噌汁に入れていました。これを味噌汁といわなくて納豆汁と言っています。
この本の表紙には夏目漱石と思われる漫画が載っています。「門」では「朝になると欠かさず通る納豆売りの声が、瓦を鎖す霜の色を連想せしめた」との文章を書き抜き、納豆売りが江戸時代から冬の風物詩であったと著者は言っています。しかしながら江戸時代末期になると一年中納豆は売られるようになっています。
夏目とくると、正岡ははずせません。正岡子規は死ぬ五日前母に納豆を買わせています。子規は四国の人間ですから、あまり納豆など好んで食べたとは思われません。少ない利である納豆売りに対する同情から買ったのではないかと推察しています。
納豆には匂いがありますが、これが格好の川柳の題材になります。
「豆は豆だが下女のまめは納豆」
「当世手打笑」の「旦那坊主粗相事」の話はこうなっています。主人が自分の女房の手作りの納豆を坊主に進呈しました。匂いをかいだ坊主が、「とてもいい成熟具合ですね、思い出しました、奥様のあそこが」まるでナポレオンとジョセフィーヌとチーズの話そのものです。
いずれにしても納豆は体にいいものであると思われます。しかし大豆も遺伝子組み換え製品もあります。なるべく遺伝子組み換え大豆は使っていませんと表示のある納豆を買っていますが、味噌や醤油などそのような表示もないものもあります。よく考えてみると後何年も生きることは出来ないのですから、遺伝子組み換えであろうとなかろうと大した差はないと思われます。
1. 無題