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石橋栄子 コパ・カバーナ

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石橋栄子 コパ・カバーナ


            昭和32年(1957年)に高級ナイトクラブ「コパ・カバーナ」が赤坂に出来ました。コパ・カバーナの社長・長尾久子ママは「ミーティングの場で」こうゲキを飛ばしていたものだと書いています。

「女は自分で値段をつけるもんじゃない。値段は男がつけるもんだ。お前たちはコパにいるから高い値段で買ってもらえるんだ。外にいたらただのパンスケと同じだ」

コパ・カバーナの入社の条件は「寝ることが出来る」ということです。国会議事堂が近いので、国会議員と寝ることになります。

田中角栄が「あいつは線路のないところに電車を走らせる男だ」といわれたHとは「浜幸」のことでしょう。Hとは四谷にあった「日の出」旅館で出会い、盛んにセックスしたようです。

「私はコパ・カバーナで十ヶ月働き、3000万円稼ぎ、一つの生命を宿した。やがて次女が生まれた。私の夢をかなえてくれる男の子を、という私の目論見は、今度も見事に外れた」

またNの秘書と寝ます。Nはやがて内閣総理大臣になったと書いていますから、「中曽根」のことでしょう。この秘書は女でも事前に自らチェックして親分にあてがっています。親分のNも栄子と寝る時、オレの秘書はオレの女の好みを良く知っていると秘書を絶賛しています。Nは子供はできないだろうね、などといったりしているくせに、いくら栄子ががんばっても立たなかったそうです。数年後、この秘書から電話がかかり、出会いセックスした後、この秘書は自殺しました。何があったんでしょうか?飛ぶ鳥を落とすほどの力のあった秘書が自ら命を絶たないといけないとは!

その後栄子さんも乳がんを患って、乳房を取り、女としての仕事はできなくなります。不思議なことにある男と出会い、ゲーム機を置いて、賭博場の責任者になります。3年後捕まり、初犯ですから執行猶予ですみますが、その後懲りずにまたゲーム賭博場を開いたのですぐ捕まります。要は栄子さんは逮捕要員で、黒幕は捕まらないようになっているのです。今ではエステの店を開いて正業に就いているようです。

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