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野口武彦 忠臣蔵まで喧嘩から見た日本人

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野口武彦 忠臣蔵まで喧嘩から見た日本人


            「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)」というものがあって、江戸時代各藩の大名の評判を記しているものです。浅野内匠頭長矩についてこう書かれています。

「長矩、智有りて利発也。家民の仕置もよろしき故に、士も百姓も豊也。女色好む事、切也。故に奸曲の諂い者、主君の好む所に、随いて色能き婦人を捜し求めて出す輩、出頭立身す。況や、女縁の輩、時を得て禄を貪り、金銀に飽く者多し。昼夜閨門に有りて戯れ、政道は幼少の時より成長の今に至りて、家老の心に任す」

賢いが甘やかされて育ってきたのでしょう。赤穂藩にいるときは自分の好きなように出来てきたでしょうけど、江戸詰めになるとわがままは許されません。おまけに癇性ときていますから、赤穂藩は爆弾を抱えているようなものです。事件が起こった日の数日前から鬱陶しい雨模様の天気で、その日も今にでも雨が降りそうな天気だったそうです。堪え性のない長矩は脇差で持って吉良上野介を「覚えたか!」と叫んで切り付けます。高家の吉良に田舎侍めと蔑まれてもグッと我慢するのが当たり前です。吉良家は足利将軍から続く名家で、戦国時代に伸してきた野武士の出自を持つ浅野家とは格段の差があります。このような状況を知れば、大人だったら我慢をするのが当然です。浅野家の殿様教育は間違っていたことになります。いい女をあてがって、日々これ快楽といったような生活をし続けさせると、とんでもない殿様ができあがるということが証明されています。家老の大石内蔵介も忠臣蔵で武士の中の武士と褒めたたえられていますが、実際のところ、殿様に諫言できない不忠の家老だということになります。

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