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親という漢字は、木の上に立って見るという三つの漢字からなっていると指摘されると、なるほどと納得してしまいます。青春時代親は鬱陶しいものだと思っていましたが、死ぬ間際のこのトシになると親の有り難味がよくわかります。親がこの商売と家を残してくれなかったら、私はたぶんホームレスになっていたでしょう。この寒空、汚い格好で自販機のあたりをうろついて、小銭がないかと探し回っていることでしょう。
「親の意見とナスビの花は千に一つもあだはない」
もっと真剣にきけばよかった。
私の父親は臆病な私によく言っていました。
「山より大きなイノシシはいない」
やはり大きくなろうとおもったら男は勇気をもたねばなりません。私にはそれが欠けていますから、何一つ大きくなったというためしがありません。この商売も年々縮小に向かっています。借金する勇気もないので、このままジリ貧になっていくでしょう。
昔から私は笑い顔がいいといわれていました。美男子ではありませんが、笑い顔に私の素直さがよく現れているのでしょう。カネもないのにありそうに思われたりしています。何もかもこの笑顔が人を錯覚させるのでしょう。
「笑っている顔にはツバは吐けない」
一度タロットをして笑っていると、ビールをかけられたことがありますが、ことわざにも例外があるということです。