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今はどうかもしれませんが、昔は映画監督や映画会社の重役などは女優と「懇ろ」になることが多かったと聞きます。女優も引き立ててもらうために、自ら積極的にそうしたのかもしれません。スクリーンでは純情可憐な女性俳優も、一皮むけば肉食のメスヒョウだった可能性が大です。小津安二郎は一生独身であったということですが、美女たちに囲まれて、食指が動かなかったのでしょうか。彼は自分の母親が死ぬまで一緒にくらしていたということで、結婚しぬくかったかもしれません。またこのようなことも言っています。
「主婦のいない生活は不自由なこともあるが、女房という生き物に取り付かれたら、もっと不自由になりませんかねェ」
映画「麦秋」で原節子のセリフにこのようなものがあります。
「あたし、40にもなってまだ一人でブラブラしているような男の人って、あまり信用できないの、子供ぐらいある人のほうがかえって信用できると思うのよ」
そうはいっても原節子と小津安二郎の結婚の噂が流れたこともありました。女優と監督に関して、大御所の田中絹代がこのようなことを言っています。
「主演女優を愛さないと全然そこには潤いがでてこないということ。その一番代表が小津先生です。ですから本当に私を愛してくださっているものだと私だって一時はきちがえて、結婚してもいいという気持ちになりました。だけど撮影期間中だけ。終わったらバイバイ」
小津自身、俳優と監督はこのようなものだと言っています。
「女優なんてものはねキミ、ありぁぼくからみりゃ仕事の材料でね。道具とおんなじさ。ただ見ているだけの話で、いちいち恋焦がれた日にぁ仕事にならない」
かつて映画監督と言えば飛ぶ鳥を落とすほどの勢いがありました。現在の映画産業は低予算で、監督などは金策に走り回っているというのが多いのでないでしょうか。小津のように打ち上げには自腹で俳優たちの労をねぎらうということももはや出来ないでしょう。世の中の変化は激しい。磐石だと思われた大地も、いつ何時、のたうちまわって、大亀裂が走りかもしれない時代です。