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私には常々勝手読みがあり、パソコンで文を書いているとき、変換できないことがあります。そのつどそうかと思って、正確な読み方を記憶するのですが、すぐ忘れて同じ間違いをします。若いときの間違って覚えた記憶はこのトシで覚えた記憶よりは強力で、古い記憶の方が新しい記憶を押しのけて前面に出てきます。「屋上」の言葉は、最近「おくじょう」とタイピングしますが、数年前は「やねうえ」と打って変換しようとしていました。もちろん出てきません。
「沽券にかかわる」というふうに使われる「沽券」とは「土地などの財産を売買するときの契約証文」だということだそうです。転じて「人前で失いたくない、自分の価値や品位」となるそうです。
「にべもない」とは「そっけもない、愛想もない」という意味ですが、「にべ」とは魚の名前で、「にべからとる粘り気の強い膠」のことなのだそうです。いままで語源も知らず使っていたということになります。
「釈然」も肯定形で使っては間違いだそうです。「釈然としない」という否定形で使うのが正しい使い方です。「腑に落ちる」も「腑に落ちない」のが正しい使用法です。
「おざなり」と「なおざり」もどちらもそう違いはないのでは思われますが、「おざなり」とは「十分に注意を払って行うべきであるのに、いい加減にすること」で、いい加減であっても、「少しは何かをしている」ことを意味しています。しかし「なおざり」は「取り込むべき重要な事柄であるのに、何もせずに放っておくこと」です。
「放って」でも私は「ほって」とタイピングし、この字が出てきませんでした。広島弁では「ほっとけやー」といいます。「ほうっとけやー」とは言いません。「う」を入れると間延びして、ケンカのような緊急時に迫力がありません。「ほうりなげたろうか」よりは「ほおり投げたろうか」のほうがケンカが強そうです。