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志ん生が父親で、馬生が長男、志ん朝が次男、美津子が長女で、もう一人妹とがいます。女・女・男・男という順番です。志ん生は83歳まで生きました。長男の馬生は貧乏暮らしと戦争中であまりいいものを食べていなく、54歳で死んでいます。志ん朝は戦後暮らしも豊かになり、いいものを食いすぎて糖尿で63歳で死んでいます。戦前、落語家は真打になっても、大したカネは稼げませんでした。おまけに志ん生は賭け事に酒といった芸人特有なライフスタイルを持ち、家にカネを入れることがありません。母親は内職や働きに出て、子供たちを養っていました。長女の美津子は戦後豊かになった頃の母親より、なめくじ長屋で苦労していた母親を思い出すことが多いと言っています。今ではこのような稼ぎの少ない男ならすぐ離婚話になりますが、この母親は志ん生の落語の稽古振りを見て、たとえ生活が苦しかろうとも、将来きっとこの男は大成するだろうと信じていたと長女の美津子は書いています。そうは言っても、今も、それ以上に昔は女一人が子供4人も抱えて生きていくのは大変だったことでしょう。たとえ役に立たぬ亭主であっても、いるといないとでは、愚痴一つの処理も大いに違ってきます。つまらない亭主でも近くにいれば、愚痴でも言えて、再び生活の張りも出てくるかもしれません。
やはり志ん朝をテレビなどでよく見ていました。オヤジの志ん生は間延びした声で何をいっているかよくわからに話しぶりでした。その点は志ん朝は若くてテンポも速く、言葉も明瞭で、これこそ落語家だなと思わせるものでした。長男の馬生はテレビに出ていたのでしょうが、地味な性格が禍をして、印象があまりありません。志ん朝は落語以外の番組にも出て人気者でしたが、後半落語一本に絞って精進していたような気がします。YouTubeで見ても、志ん朝の落語は安心して見ることができます。つっかえたり、どもったりすることがありません。よく稽古をしていたなとということがわかります。