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藤野彰 嫌中時代の中国論

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藤野彰 嫌中時代の中国論


     紀元前5世紀に孔子が礼節を説きました。要するに漢人は大昔から礼節などなかったということです。孔子の弟子・子路も衛で切り刻まれ、塩漬けされ、膾になって孔子のもとに帰ってきました。このときほど、孔子は自分の学説に無力感を感じたことはなかったでしょう。かつて清朝時代「眠れる獅子」だったものが今日では「咆哮する獅子」になって、近隣諸国と軋轢を繰り返しています。今日もニュースで中国の石油掘削船とベトナムの海軍が衝突していると出ていました。ベトナムは敢然として中国のやり方を阻止しようとしています。アメリカのアーミテージが言っているように、中国人は「相手が反論しなければそのまま事実ということにしてしまう」という厚かましさがあります。黙っているとどんどんエスカレートしてゆきます。いまのところ尖閣諸島で留まっていますが、ほっておくとやがて沖縄ももともと中国に朝見した国で、それに対して中国も沖縄を柵封し、保護を与えた経過があるので沖縄も中国のものであると言い始めるでしょう。

中国がこのように厚顔になったのもわからないではありません。清朝時代の末期、西欧列国や日本に侵略されて、散々な目にあっています。「立ち遅れれば殴られる。発展して初めて自ら強くなれる」というのが今の中国共産党のテーゼになっています。上海租界でも犬と中国人は入るべからずといわれて、誇り高き中国人の出鼻をくじかれています。とりわけ日本に敵愾心を持っているということは、明治時代の日清戦争、10年ほど続いた日中戦争によるところが大きいでしょう。日清戦争では負け、今度の世界大戦ではアメリカに助けられて、日本を中国の土地から排除しましたが、国土を戦場にされ甚大な被害にあっています。中国の映画では日本の憲兵が中国人をビンタしているシーンがよくあります。まさしく「立ち遅れれば殴られる」といったことが身に沁みているのです。重々、このことは日本人として反省しなければなりません。我々の父の代や祖父の代に起こしたとはいえ、「殴られた」中国人の痛みを斟酌しないといけません。

藤野も言っているように、中国人の学生を日本に留学させて、いまでは日本では戦前のような憲兵などはいない、警察官も今の中国の警察官と比べて比較にならないほど、親切で必要のない限り暴力など使用しませんということを知らしめないといけません。たとえ中国人が日本で犯罪を犯しても、刑務所では三度の飯も食わしてくれ、衛生かつ快適に過ごせるようになっていることを知れば、今の中国のあのあくどい汚職警官と比べれば、何と日本は平和主義に邁進していることだろうと悟ってくれるのではないでしょうか。

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