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譚璐美 阿片の中国史

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譚璐美 阿片の中国史


        清朝の中国が欧米列国の餌食になって、なぜ日本がそうならなかったかというと、今の北朝鮮のことを考えてみるとわかりやすいのです。つまり当時の日本は今の北朝鮮と同じく資源もない、豊かでもない国で、欧米の食指が動かなかっただけです。ペリー艦隊は大西洋を南下し、喜望峰を回ってインド、香港、そうして下田にやって来ました。本当は中国狙いです。そのために太平洋を渡って、日本に着き、それを足がかりにして中国の侵略を考えていたのです。自国の南北戦争で欧州に遅れをとりましたが、それが終わると、ハワイ、フィリッピンなど植民地にします。日本とは通商条約を結びますが、本当のところ、寄航する船の水やマキの調達を要求し、日本で準備万端をして中国に向かおうとしていたのです。阿片を持ち込もうとしても、その対価を払えるほどの経済力はないと思われていたのです。貧しいことは時にはいいこともあります。ハワイ、フィリッピンなどではサトウキビのプランテーションが出来ますが、熱帯ではない日本ではそのような作物はできそうもありません。せいぜい雨がよく降るので、水くらいしか提供できないと思われていたのでしょう。中国の清朝が当時の世界でもっとも豊かな経済大国であったので、強盗団である欧米列国は中国に足がかりをもとめて狂奔していたのです。イギリスは中国のお茶の輸入で国富が消耗されるので、ヤクザでしか思いつかないことを実行します。中国人を阿片漬けにすることです。このような策略にまんまとひっかかった中国人にも問題がありますが、これを考え付いて実行したイギリス人の狡猾さは悪魔にも引けを取らないものです。最近エリザベス女王が中国外交団の非礼さをなじっていましたが、香港におけるイギリス人の非道さと比べると、まったくたいしたことはありません。日本も遅ればせながら、イギリス、フランス、アメリカを手本にし、軍備を強化し、阿片も扱ってその代金を軍備に当てていました。中国から見れば、ちびの矮人が何と小癪なと思っていたことでしょう。孔子の礼も教えてやったのに、この蛮族は聖徳太子の時代から礼の何たるかを理解しえない矯正不能の民族だと、それ以上に「鬼子」だと怖れられました。

孔子は19歳で結婚し、一人男の子を儲けますが、生来の口のうるささで、女房が逃げ去っています。それ以降独身のような格好で過ごしていたのでしょう。ちょっとまえに孔子が結婚したことを聞いたことがないと書きましたが、孔子も若気の至り、性欲に目が暗んで女も娶ったのでしょう。森鴎外の知恵袋にも、性欲に騙されて結婚してもその後うまく結婚生活を続けていく人も多いと書いています。「女子と小人は養いがたし。これを近づければ不遜なり。遠ざければ恨まれる」と孔子は書いていますが、やはり孔子の几帳面すぎる性格は結婚生活には不向きなものだったと思われます。

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