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赤川学 明治の性典を作った男

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赤川学 明治の性典を作った男


        千葉繁、1834年天保5年生まれ、父親が医者で、忠詮、浜松藩の江戸詰め典医。その関係から繁も浜松藩、後に鶴舞藩(井上正直が殿様)オランダ医者として仕官する。明治維新後、殿様の井上正直の紹介で、あったかなかったかはっきりとわかりませんが、その当時の武士の転職を見ると、そのような傾向もあり、横浜刑務所病院の医者として勤務するようになります。数年して退職し、「
The Book of Nature」(ジェームス・アストン著)を翻訳し「造化機論」という題名で出版。この本の中には、日本の浮世絵のデフォルメされたものとは違って、精密な男女の性器の図が載っており、当時ベストセラーになった本です。この本の中身で、後々性にまつわる常識が確立されていきます。清教の影響からジェームス・アストンは手淫のやりすぎは精神と肉体を蝕むと解説しています。それまで性のおおらかであった日本で、一挙に重苦しいものが垂れ込みます。それまでも貝原一軒のように性欲の乱費をたしなめていますが、禁欲をするなとは言っていません。明治の富国強兵とあいまって、このような考え方が周知されてしまいます。受験戦争に勝つためにも、アスリートとして優勝するためにも禁欲が推進されました。今考えるとこれによって、かえって精神がおかしくなったり、アスリートとして大成しなかったと思われます。何事も中庸がよろしいかと思われます。

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