[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
良寛が最も毛嫌いをしたものは料理屋の料理です。要は「割烹」と名がつく板前の料理です。酒のための料理で、飯のための「おかず」としての料理ではありません。こけおどしで、見た目ばかりきれいな、腹がふとるでもない、現代でもあるところの大皿にちょこんと乗った料理です。現代でもこの「割烹」の思想が大手を振ってまかり通っているからたまりません。「料理の鉄人」などが作る料理はまさしくこの手のものです。これらの料理人が自慢たらしく作るものは家庭で食べているようなおかずとしての料理とは随分かけ離れているようです。そうかといって今家庭では鯖の煮たもの作っているでしょうか?切り干し大根を煮たりしているでしょうか?大方は工場やデパチカやスーパーで作られた惣菜物を利用していることでしょう。これら普通の人々も「割烹」の料理こそが本物の料理で、家庭で食べるようなものは料理ではないという、悪しき考えに染まっています。
西洋料理も中国料理も宴会料理はありますが、日本ほど生活料理とかけ離れた料理はありません。日々おいしく食べるものは、これら板前によれば料理の範疇に入らないということです。
「割烹」の「割」とは包丁捌きのことであり、「烹」とは元の形を崩さないで煮るという事です。キャベツだって手でちぎったほうがある料理法においてはおいしい時もあります。とこらがこれら板前人はそういうことすら思いもつきません。形を崩さないために味もおろそかになります。実際はちょこっとしかないので味などわかるはないのでしょうけど、これをありがたがって、また高い銭を払って食べているようでは滑稽と言うほかありません。以上が遠藤哲夫のだいたいの論旨です。
私の店は父母の時代「むすび」を専門にやって「むさし」を凌駕していましたが、やがてホステスさんたちがおかずを食べたいということでおかずを作り始めます。ところが時代が経るとコンビニが林立し、むすびや弁当などが出回るようになると、徐々に衰退し、飲んだ後の茶漬けを出すようになりますが、これも嗜好の変化でラーメンに食われ、いま私がやっている店の状態はおかずもあり、むすびも残り、うどん、茶漬けもあるがこれとして特長のない店になっています。お客の中には馬鹿にした態度を取る人もいますが、遠藤の言いように悪しき「割烹」文化に汚染された人たちで、いまではワインとかチーズで騙されやすい人たちだなと思うことにしています。