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新幹線も水中翼船もないのに古代日本と朝鮮の間には頻繁に行き来があったことがわかります。物流だけではなく人的な交流も盛んです。つい最近の戦前の朝鮮人強制徴用のようなものではなく、招聘されて日本に来ていろいろな技術をもたらした渡来人も多くいます。古代の外交を掌握したのが葛城氏で、天皇家と並び立つ豪族です。葛城氏系の女性が天皇家の后になって、両者は深い関係を持ちますが、決して仲睦まじいというものではなく、「ある種の緊張関係」を持った関係だったと本書は書いています。葛城襲津彦が朝鮮の新羅を撃てと命令を受けたのに、新羅から賄賂(新羅の美人二人)をもらって、新羅と敵対する加羅国を攻めています。このことで天皇の怒りを買って、葛城襲津彦は天皇の后になっていた妹に仲介を頼んでいます。
神話では史実がよくデフォルメされます。
例えば、雄略天皇が葛城山で狩をしていたとき、大きなイノシシが現れて、雄略天皇は木の枝に追い詰められたという逸話があります。これは大和朝廷が近畿地方を制定するとき、そこにはすんなりとはいかなくて、一度や二度窮地に追い込められたということを示しています。そのイノシシが葛城氏で、4,5世紀頃はこの両豪族はある妥協点を見出して、並立していたということが想像されます。後に葛城氏は天皇家に滅ぼされますが、神話ではイノシシとして残ったのでしょう。
後に大化の改新で殺された蘇我一族も葛城氏系から出たもので、女帝の推古天皇に自分の出身地の葛城県を所望していますが、断られています。滅ぼされたといっても眷族は多くいたのでしょうから、その中から蘇我一族のようにのしあがってくるのもいたでしょう。