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読書

郷田豊 クラウゼヴィッツの生涯


        小室圭さんがアメリカに留学してアメリカの弁護士の資格を取るそうですが、眞子さんとの結婚は何年先になるのでしょうか?クラウゼヴィッツも伯爵令嬢のマリーを知って、結婚するまで8年間もかかりました。なぜかというと小室さんと同じく身分の差です。クラウゼヴィッツの父は軍人でしたが、フリードリッヒ大王に自分にフオンという貴族の称号を再びつけることを要求しています。7年戦争後、多くの将校が死んだので、やっと父親はフォンの称号を与えられます。由緒正しきお嬢様と、にわか貴族の違いで、周りの承認を得るために8年もかかったのです。小室さんも最低でもアメリカの弁護士という称号を得ないと、眞子さんとの結婚はまかりならんということになります。その点クラウゼヴィッツは英才ではやくからその才能を発揮し、士官学校を卒業すると、親王アウグストの副官となります。ところがフランスのナポレオン軍に破れ、捕虜となり、これから先フランスに対する敵愾心が育ちます。捕虜から解放されてプロイセンに帰ってくると、ナポレオンに迎合する輩が多く、クラウゼヴィッツはロシア軍に入ります。そこでナポレオン軍を撃退します。プロイセンに帰ってきますが、ロシア軍に入っていたということで冷や飯を食わされます。そのような冷遇時に閑を持て余して書いたのが「戦争論」です。

トルストイが「戦争と平和」という小説の中で、ヨーロッパ各国の人間性を書いています。

「イギリス人の自信は、自分は世界でもっともよく組織された国の公民であるという基礎の上に固定している。だからイギリス人は、イギリス人として何をすべきかを常に知っているし、イギリス人として自分がなすべきことは全て疑いも無く立派であると、と心得ている。イタリア人が自信を持つのは、自分が熱狂しやすく、自分をも他人をもあっさりと忘れてしまうからである。ロシア人が自信を持つのは、まさに、自分は何も知らないし、知りたいとも思わないからであり、だからロシア人は、何事も完全に知ることができるなどとは信じないのである。ドイツ人の自信はもっとも始末が悪く、もっとも頑強で、もっとも鼻持ちならない。というのは、ドイツ人は、自分は真実を知っている、それは自分が考え出した科学で、これこそ自分にとって絶対の真理であると、思いこんでいるからである。明らかに、ブフール(ドイツの将軍)はこういう人間だった」

いくぶんか、クラウゼヴィッツもそういったところがあるのではないでしょうか。彼の人物評では、愛想のなく、社交的でもなく、相手を馬鹿にしている傾向があったと言われています。

明治維新後、日本にプロイセンの優秀な将校を送った士官学校の校長は、やがてプロイセンの戦術を学んだ日本人が反対方面からロシアを攻撃してくれるだろうと言っています。やがてそれが日露戦争で結実します。まさしくこれはクラウゼヴィッツの言う、「戦争は他の手段を以てする政治の延長である」ということなのでしょう。

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