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私の将棋友達に在日の人がいました。はじめ私は全然わからなかったのですが、彼が消息不明になって、彼の近所に住む将棋友達が彼は在日だと言いました。彼の名前は難しい漢字で、ちょっとやそっとは読めない漢字なのだそうで、朝鮮では苗字はあまり変化がないもので、名前に特徴をもたせるためだということだそうです。それに私のオヤジが生きていた頃、彼は彼の兄貴を伴って店に来て日本の植民地政策は悪いものだと、日本の軍隊は各地で悪いことをしたと私の親父を追及するのです。私はそのとき彼らは共産党のシンパかも知れぬと思ったものです。彼はいろいろな商売をやり、一時期は羽振りのいいときもありましたが、日本全体が不景気になって、彼はとうとう夜の代行業の駐車場の係員になってしまいました。カネがなかったのでしょう。彼は休み時間に私の店に来ても、何らの飲むことも食うこともなく、私のパソコンでインターネット将棋をしていました。ここで私の悪い点が出ました。私の「セコサ」が出て、「店に来たからにはオデン一本でも食べて金をおとせよ」と言ってしまったのです。これを期に彼は店に来なくなりました。聞きつたえに、彼は私のことを「竹は人間じゃない」と言いふらしていたようです。その当時は何だこの野郎と思いましたが、今考えると私の心の貧相さにつくづく愛想がつきました。もっと寛容になれなかったかと悔いてやみません。彼は死んだのではないかという噂が流れています。喧嘩別れをしたままで、和解もできなくて、私に憎みを抱いたまま死んでしまったとしたら、二人で将棋版をはさんで対峙したあの時間は何だったのだろうか、今思うことしきりです。
金素雲の「恩讐30年」で、彼が朝鮮服を着て大阪の電車に乗っているとき、車掌とトラブルになり、ある駅で車掌数人に取り囲まれた時です。ある日本人がやって来てこう言ったそうです。
「事の起こりはわたしはこの目でみている。ゴミや虫ケラじゃあるまいし、金を払って乗っている客を二本の指先でつまんだら(汚らしいという意味)、誰だって腹を立てるのは当たり前じゃないか、悪かったら悪かったとなぜ率直に謝れんのだ、きみたちは一体、どれほどの立派な人間のつもりだ。海山を越えて遠い他国へ来た人たちを、いたわり助けは出来ないまでも、多数をたのんで力ずくでカタをつけようという、それじゃまるで追剥か山賊じゃないか。そんな了見で、そんな根性で、君たちは日本人でございと威張っているのか」
安倍能成はいっています。朝鮮に渡った日本人が自分のやり方を朝鮮に押し付けるのは間違いではないかと。いまも言われるように日本そのものはガラパゴスようなもので世界規範から相当外れたところにいて、しかもそのことについて少しも自覚がないので非常に困ったものだと嘆いています。
「我々は朝鮮における内地人の生活を見て、日本的生活様式の特異性を著しく感ずると共に・・・。徳川的若しくは明治初年式日本的生活そのものを朝鮮やシナに強いたことは日本人の繰り返した失敗にもかかわらず、将来もまたこりずまに繰り返そうとするところである。お節介ながら我々は日本人が満州国などに対しても、細かな島国的な世話を焼きすぎて、この新しい国から嫌われぬことを望みたい」
安倍能成の「京城街頭所見」は1932年に記せられたものです。