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懐かしい名前が出ています。加藤あきら(誠備グループの創始者)「兜町の風雲児」と呼ばれた相場師。広島能美町の出身です。彼の父親は株で破産しています。修道高校、岩国高校、早稲田大学を出て、紆余曲折し、証券会社に入り、そこで頭角を顕します。やがて資産家を募り、誠備グループを立ち上げ、仕手株で大儲けします。ヤクザ、政治家、芸能人、スポーツ選手など金を持っている連中がもっと金を増やそうとして、誠備グループに金の運用をまかせます。バックに笹川良一(政財界のフィクサー)がついているので、当時としては怖ろしいものなしです。
この頃の証券界は、後でばれるのですが、ヤクザや政治家などには損をしたら証券会社自身がその損を補填しています。インサイダー取引も当たり前で、法令無視のでたらめをやっていたのではないかと思われます。損をするのは小口の投資者だけで、大口の投資者は手厚い保護を受けていて、余り損をすることはなかったでしょう。今も余り変わりはないかと思われて仕方ありません。最近でも野村證券でも社長が減給の処罰を受けているので、何か不都合でもあったのでしょう。
酒井敏博も証券会社を経て証券アナリストになっています。ギャンブルはいつもそうですが、成功したことしか言いません。彼も自分が言ったことでお客さんの儲けがあっという間に300万円から1000万円になったという事例を出しています。成功の裏には多くの失敗があったということは間違いありません。証券アナリストと、猿とで、株の儲けを競わしたところ、猿のほうが成績がよかった実験もあります。