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日本の映画やドラマはシステマティックなつくりになっていて、これといった感動をもたらすものがありません。世界の映画賞が韓国や台湾などに行き、日本は取り残られたような昨今です。
「日本の映画は、映画会社に完全にコントロールされた作品作りが主流になっており、作品の大半はテレビ局、新聞社、出版社、広告代理店などが絡んだ製作委員会方式で、リスクが心地よく分散され、宣伝も多角化し、あたりはずれという意味ではいえば、外れる可能性は低いが、大当たりもしないような作品作りが主流になっている」
派手な宣伝の割にはそれほど面白くもない映画が多いのでしょう。台湾ではこの業界の未成熟のために、映画監督は自分が撮りたいものを撮っているからで、日本のように「撮らせてもらえるから撮る」といったというものではなく、失敗すれば破産も覚悟の上での撮影ですから、おのずと熱が入るのでしょう。台湾ではよく議員が殴りあいの喧嘩をしているニュースが流れます。もはや日本では「ハマコー」のようなやくざ風の代議士はいません。政治も映画と同じようにコントロールされ、水面下で物事が決められるようで、不透明でわかりづらくなっています。社会の複雑さにより頭のいい官僚が目立たないで差配する仕儀になっているのでしょう。「ハマコー」のような存在はゆるキャラのぬいぐるみ人形ほどの価値しかないようです。
「KANO」という台湾の映画は実際にあったことを映画にしています。戦前、台湾の嘉義農林の野球チームが甲子園で準優勝したという実話をもとにしています。つい最近までアメリカのバスケット競技では黒人の参加を拒否していましたが、日本では戦前、日本人、台湾人、高砂人で構成される混成チームの嘉義農林の活躍を手放しで歓迎していました。菊池寛までも嘉義農林のファンになっています。当時朝鮮人や中国人や台湾人を差別していたのは確かですが、アメリカの黒人ほどの差別をしていなかったといえるでしょう。しかし差別された側から見れば拭いがたい怨念を持つのもわからないではない。「KANO」を作った監督も「媚日」といわれ、「売台」と非難されました。親日家の多いといわれる台湾でも、何かがあるとこのような議論が沸き起こるということは、戦後70年経っても戦前の行為は依然として記憶に残っているということです。今日もニュースで軍艦島の世界遺産登録に対し、韓国が反対の意思を表しています。強制労働をさせた炭坑を世界遺産にすべきではないと言っています。あっさりとした漬物を好む我々には水に流すという心情がありますが、唐辛子満載のキムチの人々は白菜を水で洗って付着した唐辛子を洗い流すということをしない人たちだということがわかります。