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野村正樹 のんびり山陰本線で行こう!

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野村正樹 のんびり山陰本線で行こう!


        山陰本線そのものが野村正樹のサラリーマン人生と瓜二つであると言っています。ということは表の山陽本線に乗れなかったということになります。そこにはやり手の人材がいて、テレビの宣伝などで華々しく活躍していました。野村正樹は同じ宣伝課で雑誌とかといった地味な宣伝を担当していました。そのやり手の当の本人から、「俺は日の当たる道を走っているが、君はゆっくりと日陰の道を歩く人生だな。俺の人生が山陽本線ならば、君は山陰線かも」と言われています。喧嘩にならなかったのは野村正樹が相手の実力を認めていたからでしょう。日陰の人生であろうとも、「人の行く 裏に道あり 花の山」と思い、何も超特急で人生を突っ走るのが正しい人生であると考えなかったからによります。入社が京都で定年が下関、野村正樹は定年まで会社に残らず、彼が50歳の時に作家として独立しています。山陰本線でいえば益田あたりになるでしょう。益田からは山口線が連結していて、わき道に入ったことになりますが、山口線はやがて新山口で新幹線とつながります。野村正樹も試行錯誤しながらも推理作家として、新幹線につながったことで何とか食える作家になったのでしょう。可もなく不可もなくサラリーマン人生を続ければ、山陰本線で終着駅の下関にたどり着くのですが、野村正樹はそのようなサラリーマン諸氏に、関門海峡を潜れば、次に九州があるのだと鼓舞し、本州が此岸なら九州は三途の川を渡った彼岸であり、仕事がなくなり一個人に帰っても、また、いままでにもまして夢のような「新しい旅」は続くのだと言っています。

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