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兜太の母親は百四歳で亡くなっています。母親似なのでしょう。俳句をする人は長生きするというのは本当のように思えます。心のもやもやを簡潔にまとめると、スッキリしてストレスが溜まらなくなるのでしょう。
「長寿の母うんこのように我を産みぬ」
モデルのようなスタイルのいい女性ではなく、「小太りで、尻の大きい」体型であったと兜太は言っています。アフリカでは尻の大きい女が美人だといわれています。日本でははやらなくなった体型はいまでもアフリカでは賞賛されています。今はもてなくなった女性でもいつの日か流行が変わって、再び尻の大きい女がモテモテの時代が来るでしょう。
「髭のびててっぺん薄き自然かな」
兜太は40台からそうなったそうです。てっぺんがうすくなるかわりに耳の毛がドンドン濃いくなったそうです。あたりまえのことだと思えば気になりません。私の耳の毛もイソギンチャクのように伸びています。かえって長寿の相と思って喜んでいます。昨日私は歯医者に行って、ぐらぐらしている歯を一本抜いてもらいました。67歳にして完結無敵の歯並びが一本欠けてことになります。悲しくて仕方ありませんが、「自然かな」と考えれば、67歳まで自分の歯が完璧にあったということは他者と比べてみても上等のほうであったと思うほかありません。
兜太は朝起きると30分間「立禅」をしています。立ったまま、死んだ人の名前を心の中でつぶやき、思い出すのだそうです。これによってボケもしないし、死者と一体になり何ら死を恐れなくなり、死と生の垣根が取り払われ、渾然一体化し、生きているようでもあり、死んでいるようでもあり、名言「私はどうも死ぬ気がしない」とも言えるようになります。