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金谷武洋 英語にも主語はなかった

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金谷武洋 英語にも主語はなかった


       古英語では動詞の変化で主語はなくても意味がわかったが、中英語、イギリスがフランスのノルマンディに征服されていた300年間、動詞の変化がなくなり、
SVOという語順によらないと意味がわからなくなった言語になったということです。必ず主語を入れないといけなくなりました。それで「馬鹿」主語もできてきます。日本語では「寒い」という文章も英語では、「It is cold」、日本語で「焼いた」という文章も、「He burned it」というふうにSVOにとらわれて、馬鹿主語や馬鹿代名詞を置かないと文章が成り立たないことになっています。金谷によると、これは一神教・キリスト教の影響で、神がすべてを創り、人間すらも、神に似せて作られたのであるのだから、人間はいかようにも自然に対して対処できるという考えにいたったのです。「する」文化の誕生です。反対に日本人は自然はもともとそこにあったのであり、人間も遅ればせながらそこに入れてもらったのであるから、川も山も岩もすべて神が宿るものだという「ある」の文化の誕生です。金谷は別の言い方で、「神の視点」「虫の視点」と言い分けています。「する」の文化では自然を改変することは当たり前であり、神が自然を創ったように人間も思いとおり、行動できると考えるのでしょう。こうなると、「I」が「私」が一番の主語になります。度々のつまりは、欲望の塊である「私」が世界から物を収奪するようになるのです。これが大英帝国の植民地政策です。だから、金谷の言うところ、英語を習うということは人格を変えるということなのです。要するに攻撃的で、権利意識が強く、強欲な人格になる必要があるのです。こうならないと英語は上達しません。私がいまだに英語をペラペラとしゃべれないところをみると、まだ人格的につつましいところがあるからでしょう。

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