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オランダ人が操縦する二機が東京を目指して、コペンハーゲンを飛び立ちます。行きは、ドイツ、トルコ、シリア、イラン、インド、タイ、中国、朝鮮、日本というコースを選びました。一機はラングーン近くで田圃に不時着し、続行不能になり、ボトヴェとオルセンの僚友が操縦する一機のみで東京を目指します。レーダーもない当時、視界飛行だけで日本までくるということは大変なことです。上海を目指して飛行していましたが、燃料タンクの漏れから不時着し、住民が集まり、飛行機の部品をむしりとられたと記録しています。何とか言葉のわかる人がいて、電信を打て、部品を送ってもらうことができ、二人で修理し、飛び立つことが出来ました。中国人はニコニコ笑って友好的な態度なのですが、飛行機に近寄って何やかやナットをはずして持って帰ったりしていました。その土地の有力者が青龍刀を持つ死刑執行人引き連れ、飛行機を見学に来ました。多分部品を持って帰る人を見ると、この有力者は死刑執行人に命じてその人たちをぶった切っているでしょう。ここを脱出しても、またや冷却気の水漏れからエンジンそのものがだめになり、また不時着、当時東北アジア一帯は軍閥が割拠し、それに日本軍、ロシア軍と入り乱れて、物騒なところです。横浜からエンジンを送ってもらうことになります。ここで二人は鉄道に乗ったのですが、駅で中国人が何者かに射殺されるは、天蓋に乗っている中国人が陸橋に差し掛かると、利陸橋の鉄枠で何人もの中国人がそぎ落とされたりしたのを見ています。このように人命が軽視されるのを見てさぞかしボトヴェとオルセンは驚いたことでしょう。当時でも中国の人口は4億人といわれていましたから、少々死んだって誰も何とも思わなかったのでしょう。やっとのことで東京にたどり着き大歓迎をうけます。帰りはシベリヤ経由でオランダに帰っています。この時も危機的な場面に出会いましたが何とか切り抜け、コペンハーゲンの飛行場に戻っています。3万人もの人が集まり、飛行場になだれ込みました。あわやプロペラで負傷かと思われましたが、何とか無事に帰国セレモニーを行うことが出来ました。