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関口義人 ジプシー

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関口義人 ジプシー


        中世ヨーロッパではジプシーはエジプトから来たといわれていましたが、オーストリアの言語学者、フランツ・ミクロジヒによってジプシーの言語は「インド・アーリア語に区分され、中でも新インド・アーリア語と深い関係があり、サンスクリット語、ヒンディーといった言語群と共通性が高い」ということで、北インドからの漂流民であることがわかりました。もともと芸能とか占いをする民ですから、カーストは低く、インドでも圧迫されて漂流せざるを得なかったのでしょう。日本にもサンカと言われる人々がいて、山中を移動し、時には農村に出て竹かごとかを売っていたという漂白民がいました。戦前まではいたようですが、戦後はそういった人々は一切なくなりました。ヨーロッパでのジプシーはどの国にも同化せず、独自の生活スタイルを維持してきましたから、反発や迫害にあっています。うろつき回ること自体が犯罪であるといわれ、ガレー船の奴隷として送られた人も多くいます。最もひどい時はヒットラー時代でユダヤ人とともに強制収容所で殺されています。

ユーラシア大陸がいくら広いといえども、一年もたたないで毎日歩いていくとインドからヨーロッパにたどり着くのですから、広いとは言えないし、ましてやモンゴル騎馬軍団だと一、二ヶ月で、ヨーロッパ周辺国までたどり着いたでしょう。異民族との交流では言語も学ばないといけません。ジプシーはその国にたどり着いたらその国の言語をマスターし、手相タロットなどの占いをしているのですから、インターナショナルな人々です。ところがよかったかわるかったかわかりませんが、日本人は海に囲まれユーラシアの民が大挙してくることはありませんでした。反対に大挙してでることもあまりありません。いくら学んでも英語ができないというのはこのような事情があったからだと思われます。

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