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関裕二 京都の闇

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関裕二 京都の闇


      泰氏ユダヤ人説があるそうです。7世紀平安遷都以前にこの地に根を張っていた豪族泰氏のことです。大酒神社の大酒はむかし大避であり、これに門構えをつけると、「大闢」(だいびゃく)で、漢語の「大闢」は「ダビデ」の事を指すというのです。浮世絵で歌舞伎役者の絵がありますが、まさしく鼻の大きいユダヤ鼻をしているのがいます。それに泰氏そのものが日本芸能の祖であるともいっています。後の世阿弥がそのことについて書き記しているものがあります。渡来人は何も韓国や中国にだけ限ったことではないようです。はるばるカナンの地から流浪したユダヤの民も日本に流れ着いているようです。聖徳太子の生まれの状況もキリストの生まれ方とよく似ています。聖徳太子の別の名前は「厩戸豊聡耳皇子」であり、厩の戸にあたり、母親も穴穂部間人皇女は聖徳太子を生んだといういわれが残っています。

大化改新の首謀者の一人、後の藤原天下の基礎を作った中臣鎌足は百済の王子・豊璋だという説も披露しています。全方位外交の蘇我氏に対して、中臣鎌足は中大兄皇子をそそのかし、百済一辺倒の政治体制を作ったのでしょう。ところが白村江の戦いで、新羅・唐の連合軍に敗れて倭国は朝鮮の地から撤退します。これ以降藤原家は百済での王朝の復活を諦め、日本の天皇家の外戚となり、とうとう道長になって、「望月の 欠けたることも なしと思えば」とうそぶくようになります。

このまえ韓国時代劇ドラマ「階白」(ケベク)を見ました。百済の武将で実在の人物だそうです。やはり史実は曲げられないもので、やたら強い「階白」(ケベク)でも最後には唐と新羅の連合軍にやられてしまいます。

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