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欧州の知識人の必須がラテン語であったように、日本ではそれが漢語にあたります。それが今では漢文をすらすら読める人はあまりいないでしょう。情緒的な日本人が漢文を学ぶことによって少しは論理的になった言う人もいます。中国語は英語に似て、I love you、我愛你といって語順が同質です。よく日本人の経営者が中国で中国人を雇うと、彼らの権利意識に頭を抱えるそうですが、主語を欠かさない構文が彼らの思考法の枠を作っているからだと思います。その点日本語は主語を曖昧にして、裏では察してくれよという思いのある言語です。狭い国土で均質的のひとの多い日本では自分と他人との峻烈なる区別は必要なかったのかもしれません。その点中国は国土が海で仕切られているのではなく、陸続きで入れ替わり立ち代りで多民族が入り乱れて歴史を作ってきたものですから、自他の区別をはっきりして、お互いの権利を主張する必要があったのではないでしょうか。つい200年前までは満州族が清という王朝を作っていて、そのもとで中国人は服従していました。中国人が多数なので満州族は中国に飲み込まれたという人もいます。おまけにこの詩人伝の中にはペルシャ人の血を引く薩都刺という詩人もいます。楊貴妃も中国人ではなく、イランイラクのインドヨーロッパ語族の血を引く、目鼻パッチリ、堀の深いエキゾチックな美女だったかもしれません。このように民族の軋轢にもまれて一筋縄ではいかないような商魂たくましい中国人ができあがったのでしょう。世界にはどこに行っても中国人がいるようで、大きな都市では必ずチャイナタウン街ができています。アメリカに留学する中国人は日本人のように単に英語がネイティブ風にしゃべれることに満足するのではなく、証になるような資格を取ろうとしています。おまけに最近サンフランシスコで中国人住民と韓国住民が協力してまたまた慰安婦の像の設置を勝ち取りました。着実に日本の風評を貶めることに専心しています。かつては李白と安倍仲麻呂との厚い友情があったということが信じられない状況です。阿倍仲麻呂が日本帰航で行方不明になったときに李白がこのような詩を作っています。
「日本晁卿辞帝都 征帆一片遶蓬莱壷 明月不帰沈碧海 白雲愁色満蒼梧」