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アンリ2世がイタリアからカトリーヌ・ド・メディシスを嫁にした頃から、イタリアの食文化を取り入れ、フランスの宮廷料理が出来上がったと書かれています。それまではローマから見れば、フランク族の野蛮人の集まりと見られていたのでしょう。実際に骨付きの肉を手づかみにして食い、食い終わったら骨を床に投げて、その骨を犬たちがしゃぶっていました。15世紀の日本では、ずっと前から箸を使って器用に食事していた日本人とは違って、フランスでは手が箸になっていたのです。王族からしてこのような状態ですから、庶民の食事風景も動物とほとんど変わらないものと思われます。日本での排泄処理は草や石ころや縄で肛門を拭いていましたが、フランスでは手で拭き、その手をシャツでぬぐっていたという証拠もあります。臭いので、香水を振りまき、香水文化が発展したということです。風呂も一年にいっぺんかにへんで、もともと臭いのにこのような状態では鼻もひん曲がるような臭さだったのでしょう。現在のしゃれたフランスの文化も見て、過去もそうだったのかと思っては大間違いです。
フランス革命で王宮のコックたちの職がなくなり、それでパリに自分たちの店をもったというのがレストランの始まりです。最初はスープの店、ポタージュの店で、それからおいおい料理を出すようになったのでしょう。バルザックの小説で、個室の料理店があり、そこで女を口説いたり、よからぬこともしでかしているということも書かれています。
料理長のコックの帽子が高いのは、地位が上だということを示すことではなく、単に料理場で料理長を見つけやすいからだと言う理由だそうです。