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若い女性から「全然おじちゃんじゃ」と私は言われました。私は若くないといわれたことに「全然」何とも思わないのですが、「全然」の使用法が「全然」間違っている、(おっと、自分まで間違えた!)のに情けなくなりました。ところが文豪たちは「全然」を肯定形の前で堂々と使っています。言葉というものは決して不動なものではなく、揺れ動いていくものだというのがわかります。
芥川龍之介は教養がありすぎますから、小説の背景である、その土地や、その時代に似せたセリフをさりげなく入れています。「スサノオノミコト(本当は漢字)」では出雲方言に似せて、本来は何々「しろ」(命令形)を「しれい」と変えています。「ゑらぐ」も1000年前の文献「続日本記」に出てくるもので、現代語訳では「満面に笑みをたたえる」ということです。「鼠小僧次郎吉」では江戸時代に浮流した言葉「ひってん」をセリフに入れています。「ひってん」とは貧乏ということです。このように読者を煙に巻く芥川の書き方は余りにも自分の教養の高さをひけらかしている嫌味があります。古典を網羅した自分の教養の高さで俗なことが言えなくなり、バルザックのように長編などは息切れがして創作できなかったのでしょう。このような細かいところに作為を込めていたら、何千ページも書けないでしょう。