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高橋英彦 なぜ他人の不幸は蜜の味なのか

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高橋英彦 なぜ他人の不幸は蜜の味なのか


         こう思うのは脳の基底部にそういう「回路」が備わっているということです。それを文明人では前頭葉が辛うじて表面に出ないように抑えているだけです。だから生まれながらの聖人はいないということになります。ブッタも孔子もキリストも努力して聖者になったということになります。

ラッセルもこう言ったと記しています。

「人間の通常の特性の中でももっとも不幸なものは、おそらく妬みであり、自分の持っているものから喜びを引き出す代わりに、他人が持っているものから苦痛を引き出す」

実際に脳の中で肉体の痛みを感じる場所の隣に嫉妬を感じる場所があります。ほぼ二つの痛みは同根といわれるでしょう。同時に他人が不幸に陥ったときに感じる「蜜の味」は「報酬系」といわれる部分で、うまいものを食ったときやカネを儲けた時にドーパミンがドッと出る場所と同じところだそうです。著者が言うとおり、蜜はないけど、蜜をなめている気分になっているということです。

英語で嫉妬はgreen-eyed monsterとも言われます。緑は目の保養にはいいと思っていましたが、白色人種では嫉妬している時は目の玉がグリーンになっているのでしょう。

人間になってどうもこのように脳みそが大きくなったのかというと、人の数が増えたからだという説があります。

「社会を構成する固体が増え、社会が複雑化すると、それに適応していくために相手を騙したり、騙しを見破ったりする能力が必要になり、脳が大きくなっていった」

要は食えない人物の方が人間的に進化しているということで、第二次世界大戦の日本のように、英米豪のいじめ的な包囲網作戦に対してカッとなって真珠湾攻撃をするようでは進化の度合いが少ないということです。

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