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現在の韓国や北朝鮮の問題は、李朝やその前の高麗の歴史を知らないと解けないと主張しています。生い立ちを知るということはその人の人となりを知ることですから。ところが高麗の歴史は余り芳しいものではありません。韓国時代劇テレビドラマ「朱蒙」のようにはいかないのです。たびたび遊牧民に襲われ、その間王族と貴族は逃げ回り、自国民のことは少しも考えたことがなく、酒宴と利害の対立に明け暮れたことをしています。とうとうモンゴルに征服され、帰順のためにフビライの娘を嫁として請い受けます。ところがこのモンゴルの嫁は高麗の忠烈王を格下と見ているので、杖で殴ったり、勝手に宮殿を作ったりして、好き放題をしています。おまけに毎年美女や織物など高価なものをモンゴルに貢がないといけないものだから、国民の苦悩たるや大変なものだったと思われます。
韓国では大統領を止めたら刑務所行き、北朝鮮では粛清、朝鮮のことわざに「川に落ちたイヌを棒で叩く」というのがあるように、とことんまで相手をやっつけることに歯止めがきかない人々です。よく言われるように、これが「恨の文化」を体現しているものでしょう。ここまでやるのかという、あきれた気持ちになります。韓国ドラマでは現代劇でも時代劇でも整形美人の主役の女優がいじめ抜かれますが、これはフィクションだから面白く作っているのだろうとはじめ思っていましたが、史実でも、失脚した両班の妻娘は奴隷に落とされ、手込めにされたりしています。このような人が住む国を隣国にしている我々はゆめゆめ警戒心を怠ってはならぬと、この本を読んで感じた次第です。