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黛弘道 物部・蘇我氏と古代王権

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黛弘道 物部・蘇我氏と古代王権


    大和王権の構造は、九州から引き連れてきた家来の系統と、大和に入ってのその地の豪族とで成り立っています。その家来が物部や大伴であり、豪族が蘇我氏ということです。大伴は540年に任那を新羅が併合したという外交の失敗で権力から消え去ります。仏教排斥派の物部は587年仏教推進派の蘇我馬子と聖徳太子によって攻め滅ぼされます。その蘇我氏も645年に中大兄皇子と中臣鎌足のよって蘇我入鹿が暗殺され、父親の蝦夷も焼身自殺をします。天皇家は権力パワーの絶妙なバランスの上で継続してきたということになります。戦国時代から天皇は政治の表向きの世界からは遠ざかりましたが、また明治維新によって復活し、第二次世界大戦以後は象徴としての現在に至ります。

蘇我氏が全盛の時、蘇我馬子は崇峻天皇を暗殺しています。その息子蝦夷、またその息子入鹿の三代は天皇を上回るほどの権力を持ちます。歴史はよくしたもので、必ず振り戻しがきます。驕れるものは久しからずということです。世界史も同じことで栄えるものは衰えていきます。永遠に栄えるということはありません。

馬具制作者であった蘇我氏が権力を持つに至ったかは、その名前からわかります。満智、韓子、高麗とか朝鮮半島由来の名前を使っています。文化先進する豪族であったのです。新しいものを早く取り入れて自分のものにすると、他に差をつけて、権力に取り入ることができるようになります。現在ではそれを情報戦争と言っています。

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